大地を耕す
聖書の中に種を蒔く人の例えという寓話があります。紹介しているメディアで若干の違いはありますが私が一番始めに目にした例えで紹介すると種を蒔こうとしている人がいた。キリストがその様子を遠くから見ている。キリストはその時の様子をキリストの周りに集まった人達に話し始めます。
彼は道ばた、根の張らない岩場の上、藪の中、耕された大地に種を蒔いた。道ばたに蒔かれた種はすぐに鳥に食べられた。岩場の上の種は芽を出したが根を張ることができず間もなく枯れた。藪の中の種は芽を出し根を張ることがでたが日の光が届かず育たなかった。よく耕された大地に蒔かれた種は芽を出し,根も張り一粒の種から何十倍もの実りを得ることができた。この様なお話です。ベイサイドアスレチッククラブのエンブレムはこの寓話を元にして1990年当時の見明川中学校陸上部のロゴとしてデザインしたものが元になっています。このロゴは私が転勤し新しい学校に移動する度にユニフォームの胸に着けるようにしています。
私は83年4月から88年3月まで千葉県印旛郡で勤務しました。88年4月より実家のある浦安市の学校に帰って来る事ができましたがその時に印象が前回書いたものです。正直、全く希望が持てないとは思える状況がその時に感じています。学校自体も特殊です。当時、私は体育委員会を受け持っていて体育祭を前に体育委員の集まりがありました。その体育委員会に2学年の生徒だけが定時を過ぎても現れません。1つのクラスではなくほぼ2年生の体育委員が来ません。そこで2学年の教室に体育委員を委員会に出して下さいとお願いに行ったいったことがあります。あくまでもお願いです。強圧的に迫ってはいません。その日に当該学年の学年主任に呼び出されます。私、当時28才。学年主任50少し前でしょうか。実はこの先生は弟の元担任でもあります。そこでのこの先生の言葉をはっきりと覚えています。「今、何をしていたか解っているな、学活中なんだよ」言い方もまるで脅しかと思う口調で話します。「こいつ頭ぶっ壊れてる」その時素直に感じた感想です。この他にも色々な逸話はあります。この時から闘争とも迷走とも言える時間がスタートしました。
あの時期から四半世紀の以上の時間が過ぎましたが今考えるとこの時期の闘争とも迷走ともいえる時間は自分の引き出しを増やしてくれたある意味貴重な時間になったのかもしれません。当時の浦安で感じたことは、この様に頭が狂った連中がいる反面全く何も考えてないんじゃないかと思える人達も多くいました。頭が狂っていると思い人達も自分たちなりの危機感の様なものは持っていたのかもしれません。それは何も考えないで楽に仕事をしている人達に対する感情的な捻れがあったかもしれません。しかし、私は思います。「それでもあんたら狂ってる」この状況は分断を生んでいた様に思います。当然まとまりは期待できません。市にも小中体連というものがありましたが独自進化をしていました。この時、陸の孤島、ガラパゴス状態と本気に思いました。勿論頑張っている先生もいますが、ほぼほぼ3年で外へ出て帰ってきません。これが浦安の遺伝子です。
浦安の遺伝子とは別に市川のDNAにも手を焼きました。見明川中学校時代の後半2年間は陸上部と男子バスケットボール部の2つの部を掛け持ちしていましたので陸上以外の部活ではあまり感じませんでしたが、陸上部の顧問の先生が他の学校の生徒の指導をする姿を見たことがありません。夏場とかに一緒に練習会や合宿をすることもありましたが他の学校の選手を直接指導する。あるいは専門的な指導ができる指導者に依頼する先生は当時、昭和学院の渋谷先生以外いませんでした。その渋谷先生をしても口を開くと特定の顧問の先生の苦情しか口にしません。どんだけお互い仲が悪いんだと感じることも多く、その大元が解りません。こんなエピソードがあります。2001年だったと思います。市川・浦安支部の夏の総体後の懇親会である顧問の先生がこんなことを言っていました。「陸上の顧問はみんな秘密主義だ」この先生は陸上競技は専門ではありません。もしかすると運動の経験もあまりない方と思います。球技と違い当時の市川・浦安支部の陸上部顧問は専門外であったり運動の経験もあまりない方の割合が多かったと思います。陸上をある程度知っている方なら自分の学校だけを強くすることも可能です。当時この支部で勝つことはそんなに難しいことではありませんが顧問の方の中には支部で勝つことを目標にし、そこから先をあまり考えがいっていないのではと思う方もいます。力はあっても上で勝てない。全てではありませんがその様な傾向を強く感じました。千葉県のタイトルをとって全国大会にこまを進める選手もいましたがあくまでも個人の力。部の力とは思えない。まして支部の力ではない。印旛の場合あくまでも支部の力を感じる場面は多くありました。
支部を畑に例えるならば種は選手です。種を蒔く人は部であり部の顧問でありたい。そんな希望を込めて当時このエンブレムをデザインしました。見明川中学校時代は黒地のユニフォームに貼り付けましたが以降は黄色の上着に水色のパンツ。これは富岡、入船、堀江と引き継ぎました。黄色は色は光。植物を育てる光の色です。水色は栄養となる水を象徴ています。この配色は千葉県の国体のユニフォームの配色と同じです。これが浦安の遺伝子と市川のDNAです。
後 記
話しのまくらのつもりが長くなりすぎましたね。次回は具体的な支部を変えて行く過程に行ったことと、目的について書きます。