子育てのヒント
2023年04月15日

フェードバックを深掘りする

フェードバックを深掘りする

    前回までのエピソードをさらに深掘りします。この考え方はメソッドにそった考え方ですが賛否が分かれるものになると思います。最後に私見になりますがこのメソッドのメリットとデメリットについて書きたいと思います。

1,目的と動機
 Bの目的はAに「ルールを守る」事をさせたい。これには嘘はありません。これをBの表の側面とします。表があるから裏もあります。裏とはBの動機です。動機とはBがAに行動を起こす切っ掛けとなった事柄です。この時のBの動機は「Aへの不満」です。この場合Bの目的と動機にはズレがあります。表から見ればBの言動、行動に嘘はありません。Aへの注意喚起です。しかし裏から見ればBの言動には嘘があります。BはAを攻撃したかっと思います。これが裏からみた真実です。
 解りやすい例をあげてみましょう。日本人は比較的整然と順番を守って並ぶことができる民族です。その列に割り混んでくる人間がいます。それぞれ3つの場面を想像して下さい。①は自分の並んでいる遙か前方での割り込みです。②はこの逆の遙か後方での割り込みです。この時割り込みはいけないと注意する行動がとれる人は、おそらく目的と動機が一致しているといると考えます。③のケースは自分のすぐ前に割り込んでこられた場合を想像して下さい。どの様な気持ちになり、どの様な行動を取るかも想像して下さい。前例の①②の時とは比べものにならない感情の動きがあるはずです。この時の激しい感情の動きを「葛藤」とした時「不安」として表現するか「不満」として表現するかで割り込んできた人間の受け取り方は違うと思います。下図はその時の状況をまとめたものです。

 この表を元に考えて下さい。Bが成功したか,失敗したかの判断ができると思います。この時のBの感情は「不満」であり,その為にAに対する行為がきつくなります。これは他の人から見た時には、BがAを攻撃したと映る場合も想定できます。その時の他者がBに対して「もっと優しく言ってあげなさい」と言葉をかける可能性もあるでしょう。前回提案「(1)言い過ぎたと後悔している」子どもには効果はあるかもしれません。しかし「(2)Aにが悪のだから泣いても当然だと考えている」と考えている子どもからすれば自分は正しい事をしているのに怒られたと感じるはずです。大人になっても目的と動機のズレに気づかない人間は多くいます。幼児がこのズレに気づく事はありません。したがってこの時Bは(不満)×(不満)の不満の二乗状態になり、は前に書いた「悪い状態」のスイッチに手がかかったと思ってよいでしょう。

2,失敗を成功の
 失敗を成功にするために必要な事を前回3つ書きました。もう一度おさらいをします。
①後悔する
②失敗を分析する
③責任をとる
これを行うための条件があります。それは失敗を自覚している本人,または失敗をした対象の人間が成功のピラミッドにおける「不安」の域にいる事です。もし、失敗に対し「不満」の域いる場合は逆効果です。この事柄を成功のピラミッドに当てはめて考えてみます。
 



 子どもに限らず人間である以上失敗はします。同じ失敗をしたという状況であれば、失敗を活かし次に続けた方が得だと考えます。ですから一度の失敗を叱責するのではなく,それを活かす術を覚える。また覚えさせる方が有意義です。ただこうも思います。チャンスを与えても失敗を治さない人間もいます。これは私見ですが,この様な人間、場合は期限と超えてはいけない上限(失敗)を決め、期限までに改善できない。超えてはいけない一線を越える。あるいは積み重ねた場合、警告、切り捨ては必要とも考えます。

3,賛と否(メリットとデメリット)
 最初に書きましたが上記の考え方を元にしたメソッドは賛否が分かれます。賛(メリット)としての見方は成長するには練習が必要であり、生活の中で起きる様々な現象を生きていく上での知恵を習得する練習の場ととらえているため成長は目に見えて解ります。成長を助け,自立から自律の道筋で欠かせないものとしての要素があるため上手に活用すれば必ず子どもの成長に活かす事ができます。
 否(デメリット)としての見方は解りづらいという事です。前回、提案した交通機関を使用する際にルールを守れなかったからいきなり徒歩になる。この様な事は何を目的に行っているかを知らずに見てしまうと「かわいそう」や「厳しすぎる」といった印象を持ちます。そこまでする必要があるのかという考え方があっても不思議はありません。そして子ども達が不満を持たないための準備も入念に用意する必要があります。先を見て、どの様な状況になればどうなるかを事前に伝える事をしなければ一人の失敗によって予定が潰される事になるので当然不満だけが残ります。不満が残れば些細な失敗であっても悪い失敗になります。したがってこのメソッドにそって事を行う場合メソッドを十分に理解した経験者でなければ失敗する可能性が高いと思います。そこで「観る」「練る」「行う」「続ける」の手順を踏まえて突発的な事柄でも計画的に進めていかなければいけません。また、(2)Aにが悪のだから泣いても当然だと考えている子どもの場合は「不満」から「葛藤」そして「不安」と心のポジションが上がるまで粘り強く関わる必要があります。そこまでする必要はあるかと思われてしまうなは素直な感想です。

 私見になりますが、学校の現場で陸上の指導をしていた時に思った事です。強くなりたければ練習は必要です。学業で良い成績を収めたい考えるならを勉強をします。色々な方向性はありますが自分を高めたいと考えている子ども達は努力をしています。やがて努力することが日常になり空気を吸うような自然さで努力をする。他人から見ればすごいと感じるのでしょうが本人は当たり前の様に感じている。この様な子どもは成長します。今の自分以上の力を実力として身につけます。同じ量の努力をしているようでもやらされている子どもとは成果と幸福感に大きな差があります。本来学業もスポーツも一生の財産となるべきものだと思いますが社会にでた後その経験を活かせているだろうかと思う事もあります。それは「生きる練習」をしていなっからだと私は勝手に思っています。勉強もスポーツも練習して鍛えているのに生きる事だけは失敗はさせないようにとか、苦労させるとかわいそうだからといった考えで練習する場を奪っていないだろうか。多分、この様な考え方が一番の賛否の分かれる場ではないかと思ってしまいます。