松尾メソッド
2024年01月20日

指導における視点 点と線 1

 陸上競技の指導で指導者の個性やチーム独自の方法はありますが極端に他と違った指導は無いと思います。しかし結果を出す指導者と結果が出ない指導者はいます。高校生くらいの年代の場合は全国に強豪校が林立しているために一概に指導力だけの差とは考えられませんが、公立の中学校等では指導者の転勤で一気に戦力が落ちることは珍しくありません。この現象は指導者の指導力の差が生み出す現象です。では指導力のある指導者が特別な指導をしているかといえば一概にそうとは思いません。それは視点持ち方の違いだと私は考えます。これをメソッドでは「観る」と表現します。

図1 点での視点と線での視点の違い

 

 上の図は指導者の視点をイメージしたものです。左の指導者は選手を一方向で見ています。この場合の指導は選手の個性を活かすという考えではなく指導者の考え方が絶対で選手は全てを受け入れるといった指導法になります。指導者の力が強い場合はこの様な指導でも結果は出ます。但し、指導者の考え方に近い、指導者と相性が良いといった条件は必須になります。そして身体的ポテンシャルよりも精神的ポテンシャルの必要性が極めて高い状態にもあるため歪んだ精神的ポテンシャルの強さが身につきます。最近はなくなってきましたが精神力一辺倒の鉄拳制裁などが行われやすい指導体系です。そして選手「ケ」と「える」は早々にチームから離脱します。また、指導者が弱い場合にはチームがまとまりを欠いたり先輩が後輩に無理難題を押しつけたりする等の課題が浮き上がることもあります。
 右の図は指導者が真ん中に位置し360度、特性が異なる選手を観ています。左の図式では選手が指導者に合わせていますが右の図式は指導者が選手に合わせる方法を取っています。良いか悪いかの判断は賛否が有ると思いますが、敢えて解りやすい表現を使えば左図では選手が我慢する図式で右図は指導者が我慢する図式になります。この様に図にすると「ケ」とえ「える」の状態が解ります。選手ケと選手えるは打ち間違いやふざけて書いたのではなく指導者の理解の範疇からはみ出した存在と考えて下さい。「ケ」は楽観的、活動的です。前回のブログでの「阿呆」→「馬鹿」と大化けするタイプがこの選手ケです。「ケ」を成長させる為には成功、失敗を含め沢山の経験をさせ常に考える習慣をつけさせる事です。真逆に位置にいるのが「える」です。えるの場合考えすぎるてめに慎重になり好機を逃すという欠点があります。また失敗が後を引くタイプでもあります。私ならば「える」にの自分で納得がいくまで悩ませます。思い悩む事で自分を整理するのであれば他人が口を挟むべきではないと考えるからです。全くタイプが違う選手ですが共通していることは最終の判断と実行は選手に任せ、上手くいかないことも想定内でフォローの用意をしておく事です。フォローは指導者が可能な場合に限ります。逆に言えばフォロー出来ないような場合は指導者は選手が暴走しないいおうに管理する必要があります。この様な状況やタイミングを敏感に察知する事も指導者の「観る能力」と考えます。この様なことから指導者が辛抱強く我慢することが必要になる指導法と考えます。
 この様に指導者を中心に置き選手の特性に合わせてた視点を持つことが選手の隠された力を引き出し成長させることができる方法と考えまがこの方法にも弊害もあります。右図の指導者は全方向360度選手の特性を観ています。この時、選手Aと選手Dでは全く違った特性を持っているので同じ様な指導では双方を成長させることはできません。そこで指導者は選手の特性に合わせた指導を行うことになりますが全体での指導の際にこの方法を行うことで危険な状況になる場合があります。それはAは楽観的であり積極的です。このタイプの良い点は行動力ですが経験が少ない時にはケアレスミスを多く起こすと予想されます。そこで指導は「慎重によく考えて行動しろ」になりますがそれと同時にチャレンジした勇気は認めなければなりません。良い所を残しつつ選手を成長させよういう指導者の意図はあると思いますが選手によっては混乱する場合も有るでしょう。一方Dは慎重であり悲観的な性格なため動きが慎重になります。最終的には本人に任せると腹を決めても最後まで動かない事も想定しておかなければなりません。点の指導であれば指導者の鶴の一声で一斉に動かざるをえない状況のため成功と失敗の分岐点は「気持ちの強さ」が占める割合が多くなります。それと指導者の力量が大きく関わってきます。実際、点の視点での指導の方が結果は出やすいと私も思っていますが、この指導では選手を自立させることは難しいとも考えます。そして一番の弊害は特性の真逆の選手ではアドバイスも逆になります。この時に第三者から見る指導者の選手に対する指導が偏った指導と受け止められてしまう可能性を残します。言葉の二アンスにもよりますが、Aは禁止(must)の二アンスで、Dは背中を押す(let’sやshall)の二アンスと取られ指導に公平性を欠いているのではないかという誤解が生じる心配も有ります。これは選手の側にも左図的な視線で指導者を見ている選手がいるから起きる現象だと考えます。それを上手に解消する考え方が以下の様になります。

図2 目標と目的で特性を活かす視点

 

 最初の図は中心に指導者がいます。これは指導者の持つ力で全体を統制する考え方ですがこれでは限界が有ります。指導者が全体をもれなく管理するには労力も必要になり指導者が何らかに事情で壊れてしまえばチームが機能しなくなるでしょう。そこで中心には目的を置きます。目的とは目標を掲げる意味と捉えます。解りやすく解説すると。AとB二つのチームが県大会優勝といった目標を掲げた場合、Aチームは実力的に全校大会で上位に入る力があるチームと仮定します。Aチームの目的は「県大会で勝つことは全国大会へ駒を進める」事が目的となります。Bチームは県レベルで上位に入る可能性があるチームと仮定します。Bチームの目的は「より優勝に近い成績を残す」が目的になります。したがって同じ「県大会優勝」という目標を掲げても目的は違うと言えます。私個人の私見になりますが目標は目的があって機能すると考えます。目的のない目標は絵に描いた餅です。そしてチームの目的「県大会を優勝して全校大会へ出場する」を達成するために必要なことが個人の目標とその目的(理由)になります。
 そこで上の図に戻りますが、チームの中心に目的があります。優勝が目標となり、目的は全国大会へ出場する。となります。その為に個々の選手の目標と目的があります。これは主力としてチームを支える選手ともう少しでチームに入れる(例えばリレーチームの5~6番手的な選手)将来のエース候補の新人、運動は苦手だけどクラブの雰囲気が良くて加入した選手などそれぞれの目標がありそれぞれの目的があるはずです。これを解りやすく寄付という例で表現します。主力は10000円の寄付をします。5~6番手は6000円から7000円、新人は5000円、運動が苦手な選手は500円。この時に10000円は素晴らしいが500円は価値がないといった空気が出来てしまえば「ワンチーム」として機能しません。それぞれの力量で自分のできる事をする。結果チームの為になる。そこに選手個々が自分の実力で存在する価値が生まれチーム全体の「チーム肯定感」が生まれます。裏方としか活躍する場面しか無かったとしても指導者は自分の役割に価値を持って見ている。だから次は選手になる。この様に選手個々のモチベーションを落とさない指導が全方向に視点を持った指導です。

 後 記

 この2つの図での視点とは図1における一歩通行(左側)は点の視点であり、右側と図2が線の視点での指導で有ることを示しています。古い時代は主に点の指導だった様に思います。全てが点とは思いませんがそれに近い指導だったと感じます。最近は線での考え方が多くなってきたように感じますが案外この視点で指導を行うのは難しいと思っています。指導者にも経験は必要です。失敗も経験として蓄積されなくてはなりません。厳しい言い方になると思いますが失敗の数だけ成功の道筋が明確になることは事実です。只、失敗にも良い失敗と悪い失敗があります。視点のか考え方も含め次回は失敗について私見をのべたいと思います。