松尾メソッド
2023年11月30日

ポテンシャルが高い事は、お金を沢山持っている人に似ている 独断と偏見に溢れますが

 ポテンシャルには精神的ポテンシャルと身体的ポテンシャルがあります。今回は陸上競技の話題から少し離れるかもしれませんが、ポテンシャルをどう考えるかについて独断と偏見に溢れた解説をします。しかし案外的を得ている考えだと自画自賛する考え方ですので参考になると感じた方は是非自分の生活の中に取り入れてください。そしてこの考え方を選手の競技力を向上させる目的にも活用しています。メソッドでは精神的ポテンシャルを家の建て方に例え、身体的ポテンシャルをバケツとバケツに入れることができる水に例えています。今回のポテンシャルは精神・身体両方をポテンシャルと一つにまとめお金に例えて話をします。そこで解りやすく図で解説しましょう。 

 上の図は自分のポテンシャルを所持金に例え、そのポテンシャル(所持金)で獲得できるスキルを表現しています。これを陸上競技、100mの例で考えた時、100mを10秒台で走ると目標を立てた場合目標を達成するにはA~Cのスキルが必要になります。しかし今のポテンシャルではA~Bまでしか獲得することができません。これを受験に例えれば、目標を志望校と置き換える事ができます。目標を達成するためにはA~Cのスキル(学力)がなければ合格できません。これをポテンシャルと考えます。ポテンシャルとは目標を達成するために必要なこと(資金)という例え方です
 100mの例でも受験の例でも目標を達成しようと考えるならばポテンシャルを上げることを最優先すべきです。そしてポテンシャルを上げるために行うことが陸上競技でいえば練習であり受験でいえば勉強です。この時に何が観えているか,どう判断、決断、実行するかで成功と失敗を分けることになります。これは自分のポテンシャルを理解できているか出来ていないかで大きく結果は違ってくるという意味です。別の言い方をすれば自分のポテンシャルを受け入れる事ができる人間か出来ない人間かとも言えるでしょう。そして自分のポテンシャルを受け入れる事ができる人間にも正確に対処できる人間と対処できない人間では結果に大きな差が生まれます。そこを今日はもう少し深掘りします。

1.自分のポテンシャルが解っていない(受け入れられない)
 このタイプの人間は自分を客観的に自分を観る事ができないという弱みを持っています。メソッドでは精神的ポテンシャルにおける(柱1)にあたる部分です。この場合には二つのパターンがあります。一つは全く客観視ができないタイプです。もう一つは若干客観的視野で見えてはいるものの間違ったプライドで正確な判断、決断、実行ができないタイプです。このタイプは間違ったプライドを捨ててしまえば良い方向に進むはずです。しかし、このタイプとは別に解っているようで正確な判断、決断、実行ができないタイプです。これが最も危険な状態ですが、これは過去の経験や周りの影響が原因で正確な判断が出来なくなっている状態です。それが下の図になります。

 上の図は計画の途中のアクシデントによって予定外のお金が出ていったケースと考えて下さい。陸上競技でいえば練習や試合での怪我や不調のことです。勉強ならば精神的なストレス等で思う様に勉強が進まなくなった状態と考えて下さい。この時アクシデントで出ていった450円は「死金」と考えるため現時点のポテンシャルは550円と判断する必要があります。自分を客観的に判断できなければ自分のポテンシャルを1000円と錯覚をし、獲得してスキルもA~Bと思い込んでしまいます。また本来の目的であるA~Cまでのスキルを獲得しようと無理な活動するため現在手にしているスキルAも失う可能性もあります。ここでやらなくてはならないことはこれ以上の「死金」を作らないこと。今の悪い状況を好転させる方法を考え実行することです。これを精神的ポテンシャルでは(柱2)と位置づけています。後者の場合は自分のポテンシャルを解っていないというよりも様々な状況が邪魔をして見えなくされているが正しい認識だと思います。指導者の役割は選手が今の状態を客観視できていないことを気づかせ良い方向へ導くことですが、この状態をさらに追い込んでしまう指導者もいます。これが本来は客観的に判断できるポテンシャルがあった選手が周りからの影響で正しい判断ができなくなっている状況です。

2.自分のポテンシャルが解っている(受け入れる事ができる)
 この場合も二つのパターンがあります。一つ目はしっかりと自分を客観視できているパターンです。周りの理解や援助も必要ですがやるべき事を整理し状況を改善する方法を正しく選択できます。この選択が正しければ今のポテンシャル(550円)を早々にもとのポテンシャル(1000円)へ戻す事もできます。また、そこから自分のポテンシャルを上げ目標を達成するための軌道修正も容易だと考えます。
 二つ目のパターンは客観視できているのは今の状態だけであり自分本来のポテンシャルが見えていないタイプです。ポテンシャルには精神的ポテンシャルと身体的ポテンシャルがありますが身体的ポテンシャルは見えているが精神的ポテンシャルが解っていないタイプです。このタイプは「死金」を使わないために練習内容をセーブする。場合によっては休む判断ができます。しかし怪我を修復するための栄養を取るよ事よりも自分の好きなジャンクフードをとったり、成人であれば飲酒や喫煙が止められない。睡眠時間を削ってゲームをする。精神的ポテンシャルには目標に向かい自分をコントロールする能力も含まれます。平常時であればポテンシャルを上げる生活ルーティンを作ることができず競技に対してマイナスの欲求をコントロールできないタイプです。

 

 後 期

 以前書いたコカコーラのエピソードでもドライバーが自転車道を自転車ユーザーに配慮して駐車していると気がつくにはポテンシャルが必要です。何も感じない場合はポテンシャルはありません。某番組で言われている「ボーと生きている状態です」危ないと感じる場合は少し問題提起ができるポテンシャルですが、もう少し深く考えるならばドライバーの意図をくみ取れたかもしれません。人間には古代から学習してきたことがDNAに刻み込まれているために自分にとって有害(危険)である事を最初に感じるようです。これは危険から自分を守らなくては生き抜くことができなかった古代の人間が勝ちとった能力が今も残っているからと考えます。ですから「瞬間的葛藤」があった時には善にも悪にもとれる状況では自分にとって「危険と感じる」悪の感覚が優先されます。しかしポテンシャルが上がればドライバーの意図までたどり着けることができます。この能力を読解力と表現しましたが読解力も精神的ポテンシャルの一部ではないでしょうか。世の中のこの読解力が上がれば世間はもっと落ち着いて穏やかな世界が広がるとお思いますね・・
次回 ポテンシャルをどう上げていくか。その方法はどうするのかについて書きます。