松尾メソッド
2023年12月31日

自己肯定感と馬鹿の関する考察

 馬鹿は好きですかと質問されたら、迷わず好きです。と答えます。馬鹿は可能性に溢れています。だから大好きです。馬鹿のイメージですが勉強ができない。常識が無い。そして頭が悪い。この様なワードが並びます。特に馬鹿は頭が悪いものだという固定観念があります。馬鹿は本当に頭が悪いのか、そして、頭が良いという固定観念が勉強ができる。になるでしょう。でも、勉強ができる人間は皆が頭が良いのか。そう思います。今日は独断と偏見に満ちた考えで馬鹿を語ります。そんな考え方もあるかのか程度で聞き流して下さい。
 先ず、頭が良いという概念ですが、私は正しい判断ができ、決断し実行する勇気があり、継続できる勤勉さを保つことができる事が頭が良いことと考えます。また人間的読解力の高さも頭が良いという事の特徴だと考えています。これは客観的に自分を観る能力と相手を理解しようとする能力がが無ければ難しいと思います。勉強ができる。言い方を変えると高い偏差値があるということはお金を沢山持っている状態に近いと考えています。お金が沢山あるということは選択肢が増えます。できる事が多いと置き換えることもできます。偏差値が高いという事は選べる高校の選択肢は増えます。以前、偏差値70前後の学力持っていながら実家の農家を継ぐために必要な農業の勉強をする目的で農業高校に進んだ生徒がいました。その高校の偏差値は38前後です。この決断は極端ですが究極の頭が良い判断ではないかと思います。但し、私は個人的にですがこの様な判断には賛成はできません。話を戻します。高い偏差値を持っているが為に自分の力を客観的に見られなくなった生徒、親も含め沢山見てきました。これは自分の力を知ったうえでチャレンジする。確実の成功を求める等の目的を持った受験と違う意味での受験の例です。名前や学校の偏差値だけで学校を選び本当にいける所に行けなくなった例も沢山見てきているので勉強ができるからといって必ず頭が良いにとは言えないのではないかと考えます。
 そして馬鹿は全部が部頭が悪いと言う考え方も違うと思います。なぜなら勉強ができなくても自分を客観的に観る事ができる人間を沢山知っているからです。そこで馬鹿を次の様に分類してみました。

 

 これは縦軸に馬鹿か普通かを表し、横軸に頭が良いか悪いかをしましたものです。そこで、それぞれをA~Dで分類し解りやすく名前をつけました。Aの馬鹿に属するが頭が良いグループを馬鹿。馬鹿に属していて頭が悪いグループを阿呆とします。異論、ご意見はあるのは今は御勘弁下さい。そして普通に属し頭が良いグループを秀才。頭が悪いグループを凡人としています。4つのグループに分けましたが,このどれにも当てはまらないグループがあります。見た目、頭が良いんだか悪いんだか解りません。馬鹿なのか普通なのかも解らない天才と呼ばれる特殊なグループに属する小数な人間がいます。今回はAグループの馬鹿に関するお話です。

 馬鹿は①の空気を読まないことで忖度をしません。普通の人間がそんなことを言っても無駄だとか、それをやれば自分がやられるから損になるといった計算をしません。分かり易い例で言えばクラスの仲に虐めを受けている生徒がいます。大体は見て見ぬふりをするでしょう。なぜなら虐めている人間に関わることで自分が標的になる可能性があるからです。しかし馬鹿は考えません。虐めの行為が悪いか、悪くないかで判断し行動します。案外このような勇気で全体が変わることもあります。但し条件づきです。この様な子供が大人になり仕事で風穴を開けることがあります。仕事における停滞を感じた時に停滞を打破するために馬鹿は行動します。時には上司に意見をすることもあるでしょう。馬鹿と言いつつも頭は悪いわけではないので誰もが思いつかない画期的な発想を持ていることがあります。これが風穴を空け仕事に活気と勢い出ることがあります。但し条件づきです。条件とは上司がかつて馬鹿だった経験を持っていた時です。大人になるにつれ世間での経験を積み馬鹿が薄れていきます。しかし馬鹿の過去を持っている大人の中には馬鹿の大事さを知っている大人もいます。この時の上司は馬鹿を「生意気だ」と思いつつも「無礼だ」とは思いません。馬鹿は頭が良いので生意気と無礼の違いが解り区別します。これが②の人間的読解力です。  
 それに対し阿呆はというと空気が読めないので思ったことを考えず先ず口に出します。計算できないので自分の意見がどう影響するかも解りません。これも②の人間的読解力が有るか無いかの違いです。馬鹿は言わなければいけない事を言い、阿呆は言ってはいけない事を言う。この様に思います。そこから馬鹿は時としてとんでもない結果を残し、阿呆はとんでもないことをやらかす。この様に思います。
 では自己肯定感と馬鹿の関係についてですが前回投稿した内容で自己肯定感で一番最初の段階が「なりたい自分を想像する」ですが案外この簡単なことができません。最初から難しいとか、そもそもそんな事は考えず友達と楽しくできれば良いと考える子供も多いからです。そこで重要なことは成功体験だと考えています。例えば運動会で1等賞になった。こんな事でも充分です。この時に馬鹿族(馬鹿・阿呆)の特徴で、空気を読まない(読めない)は大きな力になると思います。それは運動会などは案外後ろの方に速い子供を揃える。あるいは身長順位並べる事をします。自分の組で一等賞になったからといって他の組にはもっと速い子がいるかもしれません。普通になるほど自分の立ちを理解して全体の順位を考えることをすると思いますが空気を読まない馬鹿族はそれだけで輝かしい未来を想像できます。私が馬鹿に大きな可能性を感じる一番の理由です。
 そう考えると小さい子供ほど馬鹿です。これは褒め言葉です。しかし最近の傾向として馬鹿になれない、または馬鹿にしない教育が行われていることを感じます。それでは大人が扱い易いだけの人間になってしまわないかと思うこともあります。これは子供の可能性を潰していると言ってもよいのかもしれません。だから私は馬鹿を大切したいと思います。

 後 記

 今年最後の投稿が馬鹿で終わってしまいました。では阿呆はどうするって話になると思います。馬鹿は大切にして阿呆は雑に扱う。それでは阿呆が可愛そうです。新年最初の話題は阿呆を活かす考え方です。23年は馬鹿で終わって24年は阿呆で始まりますが、決して馬鹿だの阿呆だのと軽蔑しているわけではない事をご理解下さい。
 
 追伸、それでは普通は駄目なのか。こんな感想を持つ方もいると思います。ブログの方向性がどうしてもクラブで成功するための方法について書いていますので自分でアクションを起こせる能動的な人間を育てることを目的としています。その為か偏った方向の内容になっています。そこで独断と偏見が強く、こんな考え方も有りか程度で流して下さい。とも言っています。ただベイサイドアスレチッククラブメソッドは勝つためのメソッドという言い方はしていません。成功するためのメソッドと位置づけています。普通である事の成功とは何か、これもブログ内で話をしようと思います。