松尾メソッド
2024年01月25日

指導における視線 点と線 2

 私は新しいブログを書く前に前回のブログを一度読み返します。前回との内容があまりかけ離れない様にするためですがこの作業で二つの事が起きます。一つは読み返して言葉の使い方や意味などで若干の違和感を感じ修正することです。その際に誤字脱字も修正します。投稿前には一度読み返します文章を書き終わった直後は注意力が散漫なのか結構な見落としがあります。二つめはこの内容で伝わるかなと感じることです。ブログはベイサイドアスレチッククラブメソッドを説明するために書いています。このメソッド自体が難解なものなので解りやすく解説したり、エピソードを紹介するために書きますが逆に難解さを増してしまったと感じることもあります。今回のブログはその二つ目の理由でもう少し「視点」とは何か,そして「点」と「線」の指導の違いを説明しようと考えました。こののブログは前回のブログをわかりやすくもう少し掘り下げたものです。

 視点とは何か

 

 上の図は前回も提示した図です。左図「点での指導」では指導者は選手の方を見ていますが選手は全て縦並びで表現しています。これは選手の特性を考慮せず指導者は全選手に同じ指導をするという構図です。選手の都合は考えません。右図「線での指導」の場合は指導者は中心にいます。それぞれの選手の特性を把握しています。ここで間違いやすいことは図では「線の指導」とありますが選手を観察している段階では「視点」となります。但し「線の指導」の視点の場合は選手個々の特性は理解していると考えます。これは、選手の見方、考え方だけで指導と一度切り離して考える必要があるという意味になります。

 

 上の図が視点別の見方、指示系統の特徴、視点別の強み(長所)と弱み(短所)を解説したものです。当然それぞれの考え方での強みと弱みは存在します。視点とは指導者がどの様に選手を観ているかを指導者の指導感と照らし合わせて考えたものです。「点の指導」とは指導者が点の視点のもと行う指導法をさします。同様に「線の指導」とは指導者が線の視点のもと行う指導法のことです。もう少し詳しく説明すると、「点の視点」は指導者の考え方、方法がどの選手に対しても同じものであり選手の特性や都合は考えません。「線の視点」は指導者の柱となる考え方、指導法はありますが基本的に選手に合わせます。

 点と線での指導法の違い

 視点については「点の視点」と「線の視点」が有るということを理解して頂いた後は具体的な指導法に入ります。ここからが「点」「線」の指導の解説になりますが、そこで実際に指導を行う際に矛盾した事柄が起きることもあります。それは「線の視点」のもと「点の指導」が行われることがあるということです。これは指導者の力量にもよりますが視点はあくまでも「線」であっても実際の状況や現場に合わせ「点」の指導が必要になる場合が有ります。上の図にもあるように集団をまとめなければならない状況では「点の指導」が有効になります。チーム内に問題が生じた時などは「点の指導」(場合によっては指導者の一喝)が必要になるからです。指導者が線的指導を行う場合はこの様な状況を事前に回避する能力と、悪い状況になった場合でも状況を改善する能力は必要です。また,選手に指導における視点を感じさせない工夫も必要です。線の視点の場合は選手からの共感を得やすいため共感を得るために線の視点をちらつかせることは愚策です。
 指導者の視点の方向性が決まった後が実際の指導になりますが視点に関わらず指導者が選手に一方通行(指示し指導者の理想、考えに近づける)の指導だけでは視点は異なっても「点の指導」となります。「線の指導」とは選手からのレスポンスが必ず無くては成立しません。もし、選手が幼い子供であったり未熟な場合は選手はレスポンスが上手く出来ない場合があります。これを粘土細工に例えて説明します。

 子供は熊を作りたいと思いました。それもシロクマを作りたかったのですがうまくできません。そこで保育園の先生にどうすれば上手く熊を作れるかを聞きます。自分の作った粘土の熊を持っていって作り方を聞きました。保育士は考えます。子供がが何を作っているのかがよくわかりません。犬、猫、それとも牛にも見える。子供の説明を聞いても良く解りません。そこで子供に次の様に指導することにしました。

点の視点での点の指導
①この粘土の塊は犬を作っていると判断する→動物で4本足は犬、猫が一般的といった固定観念→形から犬かと判断する
 ↓
 犬の特徴等を教え細部のディテールまで指導するが子供は満足はしない可能性は残る。

線の視点での点の指導
①この粘土の塊は何を作っているのかを考える→子供の言葉から何を言っているのかを想像し子供に返す→やりとりを行い熊という答えを導き出す
 ↓
 熊の特徴等を教え細部のディテールまで指導する。子供は熊が出来た事、自分の言っている事が通じたことで満足する。

 線の指導とは必ず相手とのやりとりがあり成立します。やりとりが困難な場合は相手の言いたい事を予想しなければなりません。この指導法は点的な指導では得られない満足感を得ることができたと予想します。この満足感が次のモチベーションを生みます。線の視点とは指導者が選手(子供)の特性を観察することであり、線の指導とは観察した特性が一番活きるであろう方法を選択する。実行する事です。これからは私見です。賛否有って当然と思いますが敢えてのべようと思います。私はこの線的指導は子供の可能性を伸ばす方法としては優れた方法と考えます。しかし非常に経験を必要とします。例えば粘土の例で保育士が塊を熊だと認識できなければかえって子供の満足度が下がる事もあると考えます。これは子供も努力してコミュニケーションをとったのに理解されなかった経験をするからです。ですから若い指導者には失敗も含めた経験は必須です。では、たまたま未熟な指導者にあたってしまった子供は損をしたのか。この様な疑問が出るはずです。この部分についての私の答えは見つかっていません。もしできるとするならば個人ではなく経験豊富なベテランも未熟な指導者も同じコミュニティーの中で足らない部分を補うことができる集団を作る事かもしれません。しかし、この様な集団の生産性は低くなるでしょう。そして集団が大きく成長するにつれ「点的な指導・指示」の重要性が高まります。成長しても組織とならず集団を維持するのは難しいとも思います。指導者(リーダー)の力量と苦労は必須になるでしょう。

 後 記

 前回の投稿後に少し補足は必要かと思いました。今日の投稿の主の目的は補足です。「点の視点の指導」「線の視点の指導」にはそれぞれの強みと弱みはあります。この世の中に絶対はありません。ですから状況に合わせて指導法を使い分けるのは必要です。しかし私は「線の視点の指導」を指示します。理由は、このメソッドの目的である選手の自律を促す指導は「点の視点の指導」では難しいと考えるからです。また「線的視野」の場合には状況によっては「点視野の指導」にり替えることが出来ます。次回は「線の視点の指導」をもう少し深掘りします。より成功に近づけるための工夫を書きます。ポイントなるのは「余白」です。