松尾メソッド
2024年04月14日

芯を持つ

 久しぶりの投稿になります。

 東大入学式式辞における東大総の長発言がのロシアを擁護しているのではないかという話を小耳に挟んだエピサードから東大総長が本当に言いたかった事を考えてみようと書き始めたブログのまとめです。途中、HPの内容を大きく修正する作業を行ったための久々の投稿になります。詳しく調べてみるとこの発言は東大総長の発言ではなく入学式に来賓として招かれていた映画監督、河瀬直美氏の発言であることが解りました。よくよく発言の内容を聞くとロシアとウクライナの問題ではなく物事の本質をしっり見なければならない事に加えて現代の若者達がその本質をみる行動を疎かにしている事、もしかすると本質を見る事がどんな事かさえも解らなくなっている現代の若者を含む社会情勢への警鐘と感じました。
 そもそもの話になりますがこのブログは陸上競技に関係した内容を挙げるブログです。もっと練習内容や練習の様子を上げた方が目にとまる。ブログ本来の目的はそういうものなのかもしれません。またその様なブログを上げた方が良いといった意見ももらいました。そこに東大の入学式のエピソードが入り込み、そこからヨーロッパにおける情勢の話題にまでジャンプしてしまいます。最終的にそこから本質を見ろといった斜め上にジャンプする。これらは全く陸上とは関係ない話ですが言いたい事は「本質をみることができるようになる事が競技力を上げる一番の近道になる」ということです。それを回りく細かいエピソードを交えて解説しているのがベイサイドアスレチッククラブのブログです。
 では本質とは何かについて考えてみます。河瀬監督はこの本質を窓から見合える景色であったり,たった一つの窓と表現していると考えました。これは自分が夢中になれることや一生涯通して続ける事ができるものと考えます。人生における一本筋が通った「芯」となるものを見つけて下さい。この様なメッセージだと受け取ります。しかし、この芯を生涯貫くことは至難の業です。様々な障害と向かい合い障害を乗り越えなければならないからです。この時に多くの人間が諦める(放棄する)といった行動をとります。この段階で自分の芯を一つ失うことになるでしょう。しかし何度も書いていますが、あきらめるには(明らかに見極める)といった意味もあるようです。この場合自分のポテンシャルを理解したうえで挑戦を止める、控える、先延ばしにする等の選択肢もできます。止まった状態がどれだけ続くかは本人の工夫次第になりますが決して芯を放棄した事にはなりません。また次に再スタートをするための準備中に自分の新たなポテンシャル(可能性)を見つけシフトチェンジする事もできるかもしれません。芯を乗り換える事はあっても自分自身の芯を追求する姿勢は生涯失うことはないと思います。
 陸上競技に話題を変えます。自分が本格的に陸上競技に関わる様になったのは中学校に入学し陸上部に所属してからです。私は昭和48年4月より浦安中学校に入学した当初から陸上部に入る気持ちを固めていました。切っ掛けはその前年度、浦安市中学校駅伝部が銚子半島一周駅伝大会、東葛駅伝大会の両大会を制し文字道理千葉県NO1チームであった事、主力の石田和明選手が3000mで当時の千葉県中学記録を更新し全国大会で全体7番目の記録を持っていたことを知っていたからです。正確に言えば「陸上がやりたい」ではなく「駅伝がやりたい」だったと思います。私自身も小学校5,6年生時の校内のマラソン大会で5位、3位と順位を上げていたのも駅伝をやりたいと考える要因にになっています。ちなみにマラソン大会の記憶は3年生から始まったと思いますが3,4年生時は50番前後を走っていたと記憶しています。5年生になりクラス替えがあり、そこで一念発起して全校耐寒ランニングが始まる前から自主トレを始めています。この頃から地域の野球チームに入ったり、剣道の道場に通うようになったのも良い成績に繋がったと思います。
 人生では運が大きく影響することがあります。もし前年度の浦安中学校の駅伝部の実績がなければ私は陸上競技を選択していません。迷うことなく剣道を選びます。この時の部活動選択肢が剣道、野球、駅伝(陸上)であり一番良い成績を収めていたのが剣道だったからです。道場にいた友達は全員剣道部に入っています。道場で最終的に一番の成績を持っていた自分が剣道を続けなかったので道場の先生方には少し申し訳なく思ったことも覚えています。剣道部顧問の勧誘を逃げながら陸上部に入部した最初の年の5月に一度目の試練に遭いました。それは駅伝大会には出られない様になったことです。当然1年生だから直ぐに駅伝の選手には成れないという事ではなく顧問の先生から長距離から短距離への種目替えの指示が出されたからです。次が2年生の夏休み明けに起きます。部員だけでなく顧問の先生もグランドに来なくなります。幽霊部員ならぬ幽霊部活状態になります。中学2年生が全く自力で練習をしなければならない状況になりました。一見不運に思う出来事ですが本質を考えてみましょう。長距離から短距離に種目が変わった事は自分の「芯」である駅伝が100mに変わっただけです。2年次の幽霊部活になった時も自分の好きな時間に好きな様に練習ができるようになったと考えれば良いだけです。実際,短距離に種目を変えたおかげで中学1年生次には東葛支部総体1年100mで3位に入る事ができました。ここで県大会出場も可能性があることを肌で感じることができました。2年生次には県通信大会で5位、県総体で8位と結果が出たおかげで夏休み中の選抜合宿に参加する事ができました。幽霊部活になったおかげで日曜日、祝日など合宿仲間のネットワークを利用し強豪といわれた他校の選手と合同で練習したり、強豪校に押しかけていって練習に参加させてもらいました。結果、3年生次には県通信、県総体での100m二冠と全国大会で5位入賞。夏休み最後に行われた関東大会でも2位と800mリレーでの全国中学校記録の自立と最高の年となります。高校、大学と陸上を続けています。この時代は厳しい事の方が沢山ありました。社会人になってからも部活動の中学生達と細々と続けています。高校でもある程度の成績が残せたので大学でも陸上を続けましたが怪我もあり全く、本当に全く満足がいく結果は残せませんでした。しかし,その経験は指導する立場で役にたちます。これも「自分が走る」といった芯から「教える」という芯に変わった(アップデート)しただけです。
 では本質とは何かをもう一度確認してみます。もし、陸上ではなく剣道を選んでいても、短距離ではなく長距離の選手として駅伝で活躍できたとしても何かに熱中して自己実現を重ねていく事の面白さを知る。その体験を年輪を重ねるように大きく,太く成長させる。この成長は生涯の宝です。これが自分だけの窓、すなわち生きていくうえでの芯になる。これは生涯を通しての武器にも宝にもなることでしょう。しかし宝は簡単に手に入りません。まず熱中できるものを探す必要があります。上手く探し当てたとしても様々な障害があり諦めてしまう事も多いと思います。時にはその芯を乗り替えたり、細くとも続けて行くことでワクワクする気持ちを持続させることはできます。この時に見えて来る本質を肌で感じ,頭で考える。それが成長だと考えます。ですから人間は死ぬまで成長することができると思います。
 陸上競技に限らず何かに夢中になれる体験は自分を成長させます。自分の体で思いを表現できる期間は短く,ある意味儚いものです。しかしこの時間が生涯を通して自分の芯となり生きるうえでのエネルギーになるとすれば貴重です。

 

 後  記

 今回は少し大げさになった感があります。出だしが世界情勢の話題なので多少は仕方ないかと反省もありますが、もし、最初に長距離から短距離に種目を変えられた時に自分の意志とは違うことを強制されたと取ればそこで私の芯は枯れます。同様に幽霊部活状態で一人になった事を「幸運」と捉えるか「不運」と捉えるかで道は大きく変わっていたと思います。剣道でも駅伝でも100mでも芯はアップデートできますが,不満の気持ちから芯を枯らす選択肢をとってしまえば新しい芯となるものを探さなくてはなりません。運良く新しい芯を見つけたとしても一度芯を捨てる選択をしてしまえば自分の思うような未来が予想されなかった時にまた芯を捨ててしまうかもしれません。高い目標を持てば必ず壁にあたります。時には自分の意志の届かないところで運命が動き出すこともあります。それが自分の思い描く未来とは違ったものであってもその機会を自分を伸ばす選択肢をとるか運は変わります。そこを見誤ってはいけない。しかし、芯を伸ばす道には困難や障害がつきものです。その困難や障害を敢えて受ける。そして充分に楽しむ。これが楽しいと事だと気付いたならば無敵です。そんなとを考えながら東大入学式のエピソードを閉じたいと思います。

 これは個人的な見解です。私は個人の能力を最大限に引き出し伸ばしてくれる機会は「理不尽」だと考えます。勿論、理不尽に遭遇すること。決して他人にはしてはならないことです。