ベイサイドアスレチッククラブの料金は安いと言われます。私はあまり意識していませんが安いようです。理由は私自身が陸上競技の指導が好きな事があります。もう少しで年金ももらえるしお金に対する執着はあまりありません。二つ目が以下の理由です。これはクラブメソッドの最後に記載した地域クラブの役割と考える事柄です。実際、私自身も公立中学校の教員として部活動の顧問を長く務め、県小中体連の役職も努めて感じた事ですが学校教員の負担は大きくその為に心身の不調をきたす教員も多いことを経験して来ま地域における運動クラブはこうした教員の負担を軽減する、協力して児童生徒の指導、支援を行えることが望ましいと考えるからです。下の料金表とクラブの役割を読んでください。ベイサイドアスレチッククラブの方向性が理解できると思います。
クラブの役割
児童生徒が始めて運動に触れる場に学校の部活動があります。近年は学校の部活動よりも早く地域のクラブ等で経験するといった児童生徒も多くいます。この様な児童生徒が公立の学校に入学し部活動で活動を開始した際に指導法を巡り顧問と対立することもあります。実際、私も女子バスケットボールの顧問をやらされた事があります。自ら望んで引き受けた受けたわけではない女子バスケットボールで大変苦労しました。それは小学校のミニバスを経験し、なおかつそれなりの成績と結果を残し期待を持って中学校に入学してきたが顧問の先生が教えられない。顧問よりも生徒が上といった状況ができます。
多くの公立、小中学校の先生は部活動を指導売るために教員になったわけではありません。それを最も感じる瞬間があります。私は、2002年から2007年の期間、千葉県小中体連・市川浦安支部陸上競技専門部・部長という役職についています。これは望んでついた役職です。私は自分の支部を一流の支部にしたい強い意志があったからです。
私が公立中学校の教員になったのは1983年4月から印旛郡富里村立富里中学校からです。印旛郡では87年までの5年間勤務しました。ここで学校における部活動のあり方や生徒の育て方。そして陸上競技専門部の先生達が専門部長を中心に印旛郡全体の生徒を育てる組織のある方を習得します。当時の専門部部長は佐倉中学校の窪田洲平先生という方です。私は先生の真似をするところから始めます。試合、練習会、印旛専門部の夏合宿などで選手にどう接しているかを徹底的に観察し盗むということを続けていたと思います。その中で目標ができました。800mリレー(4×200mリレー)で打倒佐倉中です。目標達成までに4年かかりました。リレーにこだわった理由は83年当時の佐倉中学800mリレーは全国NO1チームでした。しかし佐倉中学の目標は日本一ではなく日本中学記録の更新にありました。当時、学校単独で参加できる大会は県通信大会まで。県総合体育大会は支部(印旛郡)選抜になります。県通信大会では中学記録に届かなかった佐倉中学校。残すチャンスは県総体のみ。先程言いましたが県総体は支部選抜です。幸か不幸か佐倉中3名に自分の学校の生徒が関わります。この時のエピソードが打倒佐倉の目標を作り窪田先生は凄い。それだけではない素晴らしい人間性を持っていると思い真似る事を始めます。
800mリレーで佐倉に勝つことができたのが86年の支部総体。この間に100mで全国大会に連続出場し5位入賞する。200mの千葉県中学記録を樹立する。ジュニアオリンピックBC400mリレー6位入賞などの結果を残すことができました。これは自分一人で達成できたとは考えたことはありません。印旛群陸上競技専門部合ってのものです。その組織を作ったのが窪田先生です。
1988年浦安に帰ってきます。そこで感じたことは別物という感想でした。顧問の先生には覇気を感じない。支部のまとまりもない。そして生徒には自信が無い。年によっては県大会は審判だけの年もあるといった状態を10年強続けます。そこで2002年に市川・浦安陸上競技専門部・部長を引き受けました。掲げた目標が3つ。5年という年限で自校、堀江中が400mリレー全国大会出場。県総体、県通信においての総合優勝。支部選抜チームが400mリレーで県総体で優勝するです。
さて、ここからが本番です。今までは長い前説になります。専門部長になって一番先にしなければならないことを考えました。支部がまとまるにはどうすれば良いか。現実この支部はワンチームとは言えません。けっこおう裏ではバチバチの不平不満が飛び交います。そして一番の問題は陸上素人の顧問の多さです。当然指導はできません。先程書きましたがバスケットボールの顧問をさせられてことがありますがバスケットボールの専門部と陸上競技の専門部はまるで違います。バスケット、バレー、サッカーと違い陸上は走らせるだけだから誰でもできると学校が判断した人選かとも思いました。そこで素人だからといった考え方を排除し役職を任せ、仕事を振り、時には合同で練習を行い交流を深めます。陸上の指導は楽しいと顧問に思ってくれる様に努めます。選手には圧倒的に経験が不足していました。他の支部では支部同士の交流があります。印旛支部では香取支部との交流があり県内の強豪校といわれる学校同士が県大会前にお互いの力を確認できる場も多くありました。しかし市川・浦安支部にはその様な交流が一切ありません。他支部との交流をし経験を積まなければ進歩はない。そこで松戸支部長の山内先生に協力してもらい松戸市記録会の要項をもらい支部の先生方に配る。参加する,しないは各学校に任せる。この様な方法で支部の強化を行いました。結果少しずつ形になります。2006年に最高の結果に繋がります。興味のある方は、C-JCで検索し結果を参照して下さい。
ここまでの話の流れの中で学校現場における部活動での問題に気付くはずです。それを列挙します。
①子供を取り巻く環境は支部によって違う
②同時に各学校の顧問の力量によって違う
③公立の小中学校の教員は部活動をやるために教職課程をとり就職してはいない
④公立の小中学校の教員は部活動の顧問を望まずにやらされる場合も多い
⑤上記が原因で体調を壊し休職に追い込まれる場合も考えなければならない
⑥上記④、⑤の様な状況に対する給与の保証がない
⑦公立の小中学校の教員の部活動はボランティアである。しかし周りにその認識がない
⑧自分が受け持ちたい部活動があっても学校の都合でやりたくない部活動をさせられる
⑨部活動を指導したくても学校の状況では全くできない状況になる場合もある。
上記①~④はクラブの役割で記載した事柄の事実です。⑤~⑦は前述①~④の問題に付随するであろう問題です。例えば一般企業であれば勤務時間が決められその時間を超えて就業する場合は時間外手当が出ます。私も保育園を経営した経験がありますが時間を越えて勤務した場合15分単位で時間外手当を支給しました。これは保育園開園当初は雇用の知識が乏しくできていない時期もあります。それを改善し給与と雇用について考えて来ました。しかし公立の小中学校教員にはそれがありません。今は知りません。当然部活を持った場合の顧問の先生の負担は大きくなります。単純に考えても顧問を持った先生方は活動時間分の退勤時刻は遅くなります。まして外部の組織の運営に携われば時間外労働は一般教員の比ではないのです。夏休み、冬休みの使い方も異なって来ます。強豪校となり毎年夏には全国、関東、県内の合宿などに参加していれば家族で旅行なども厳しいと思います。それでも練習が厳しい,休みが少ないと苦情が入り、逆に指導ができない教員が顧問になれば練習を増やせ、もっとしっかりと教えろなどの苦情が入ります。繰り返します。顧問はボランティアです。自分から進んで顧問になった先生だけではありません。学校にもよると思いますが顧問を擁護できない学校もあります。指導ができる顧問にも間違った先生はいます。指導できない方を見下す。除外する。自分の学校の成績さえ良ければと考え行動する。これでは顧問は引き受けないと強固な姿勢をとる教員がいてもおかしくありません。しかしその様な教員が教育に熱心でないと言いたげな風潮もあるとは聞きます。
以上のことは部活動を取り巻く環境でよくある話です。特異な状況が⑨です。25年程前に勤務した学校の実例です。その学校では特定の学年の生徒が時間いなっても部活動に参加しません。学級担任の裁量で下校時間まで学級会と称して生徒を解放しないからです。部活動だけでなく体育祭等の事前会議にも来ないこともありました。これでは部活動はできません。また学校が荒れて部活動どころではなくなることもあります。これらを全て引き受けなくてはならない公立の小中学校の教職員の負担を軽減すること。選手側からすれば満足のいく指導を自分の目的に合わせて指導できる指導者を選べることは学校教育では教職員の負担が大きすぎます。実際、その負担を背負い心身が壊れた経験を持つ身からすれば教員の健康を守るべきは行政の責任であるとも考えます。そのために気安く使えるクラブのあり方を目指し、行政、学校、家庭、クラブが三位一体となり地域の子ども達を育てることがクラブの存在意義と考えます。この様な理想をもってベイサイドアスレチッククラブは活動します。